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ヨハネによる福音書 12: 23-26 |
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6月 22日 2008 |
本日は、奥村愛牧師(多良見伝道所)が多良見伝道所への献身を訴える思いを携えて宣教のご奉仕を担って下さいます。本日の聖書の箇所ヨハネ12章23〜26節は、イエス様が十字架にかけられる前に、兵隊たちがイエス様を捕らえようとする直前の出来事が書き記されています。23節でイエス様は「人の子が栄光を受ける時がきた」と言っておられますが、イエス様が言っておられる栄光とは、弟子たちが思い描いていたようなきらびやかなものではなく、イエス様自身が十字架にかかって、よみがえられるということを意味していました。24節「よくよく言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ一粒のままである。だが死ねば多くの実を結ぶ」では、イエス様はご自身の十字架での死のことを話しておられます。これは、イエス様が、死と復活を通して私達に下さっている希望のメッセージです。それでは、私達にとって一粒の麦として地に落ち、死ぬということはどのようなことを意味するのでしょうか?自分の人生には悔いなしと最期の時に言えるのは、何をしてからなのでしょうか?私達はひとりひとり、御言葉の前に砕かれ日々造りかえられています。本日は、私達にとって一粒の麦として落ち、死ぬということはどういう意味であるのかをさらに深く学んでいきます。
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ヨハネによる福音書 21: 15-19 |
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6月 15日 2008 |
PowerPoint付きSlides
本日は、国際ミッション・ボランティアとしてルワンダに派遣されている佐々木和之氏に「赦しと和解―条件付き『無条件』の間でー」と題して宣教のご奉仕を担っていただきます。ルワンダでは、1994年4月〜7月の100日間に、フツ族とツチ族の間の抗争により大虐殺(80万人以上)が起こり、それに伴って大量の難民も出て、両部族間に深い憎しみの傷を残しました。佐々木氏とそのご家族は、主イエスの招きに応えてルワンダの部族間の「和解の働き」のために2005年秋より、現地のキリスト教NGOのREACH(Reconciliation
And Christian Healing for RWANDA)の一員として働いておられます。本日は、佐々木氏より、大虐殺の当事者同士が同じ村や町で共存していく困難さ、被害者の癒しと生活の再建、加害者の更生、両部族の関係修復について、フツ族のアグネスさんの体験と彼女の加害者に対する勇気ある赦しを通して少しずつ和解に向けて神様が働いておられることを分かち合っていただきます。皆様にも、ルワンダの人々と共に、平和と和解のために祈り、行動していく連帯の輪に加わっていただきたいと願っています。
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「わたしたちは何者か!? -
長崎教会『信仰告白』 シリーズ -」 G 『朽ちない種を持つ者』 |
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ペトロの手紙T 1: 22-24 |
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6月 8日 2008 |
「私たちは一体何者なのでしょうか?」 「野の花をみなさい」とイエス様が言われたように、私達の身近にあるさまざまな物を見ていく時に、神様の不思議な、また特別な摂理に私達は気づかされるときがあります。1つの種を植えると、それがやがて多くの実を結ぶように、子供たちも今は小さい存在のように見えても、これから世の中に遣わされて行って成長していく時に、私達には想像できないほどの大きな力とまた主の働きを担っていくこと、また必ず神様が子供たち一人一人に大きな計画を立ててくださっていることを信仰生活、神様の励ましの中で知らされます。しかし私たちは、どんな生き方をこの世でしても、いつかは朽ち果ててしまう身であることも知っています。本日の聖書の箇所、Tペテロ1:23〜25「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない言葉によって新たに生まれたのです…主の言葉は永遠に変わることはない。…」で語られているように、私達はイエス様が死んで蘇られることによって、新しい命が与えられ、朽ちない種へと変えられました。私達は、ただ種を持っていても成長することはありませんが、種を土の中に植え育む時大きく成長します。私達は朽ちない種をいただいたことをパウロから学びました。ただいただくだけでなく、神様は、私達に「この種を勇気をもって播きなさい、育てなさい」とおっしゃています。
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ヨシュア記 1: 12-18 |
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6月 1日 2008 |
本日は、サンフランシスコ19街教会の栗山信夫牧師をお迎えして「喜びの人生の秘訣」と題して宣教をいただきます。「いつも喜んでいなさい。繰り返して言うが喜びなさい。」これは、牢獄の中にいたパウロが送った手紙です。牢獄に入れられていたにもかかわらず手紙の最初から最後まで喜びで満たされていました。本日は、パウロの喜びの秘訣について学んでいきたいと思います。パウロの第一番目の喜びの秘訣は、「イエス様との出会い」によるものです。パウロは、イエス様を以前は迫害していましたが、イエス様に出会うことによってどれだけ自分自身が変えられたかを喜びを持って多くの人々に伝えていきました。第2番目は、「交わりからくる喜び」です。パウロは、神様との交わりを非常に大切にしている人でした。どんなに忙しくても神の御前に静まり、祈りを通して、御言葉を通して神様との交わりを大切にしました。第3番目は、「パウロの伝道」によります。パウロは、牢獄の中で最悪の状態におかれていましたが、多くのローマ兵士に福音を伝え、次々に兵士たちが救われました。最後の秘訣は、「キリストの御名があがめられること」です。パウロは、イエス様に出会う前は、プライドの高い者であったと言われています。イエス様との出会い、交わりによって、自分自身がいかに小さく、弱く、罪深い者であるかを知らされました。パウロはことを通して、こんな自分でも主が御用のために尊く用いて下さることを心から喜び感謝しました。私たちも、このパウロの喜びの秘訣に習って、イエス様に最初に出会った喜びを決して忘れずに、人生を通して信仰、愛、喜びにたって歩み、一人でも多くの方にイエス様のことを伝えるものでありたいと思います。
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「わたしたちは何者か!? -
長崎教会『信仰告白』 シリーズ -」 F 『「愛なる神」を信じる』 |
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ヨハネの黙示録 5: 6-14 |
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5月 25日 2008 |
皆さんは、「神を信じておられますか」と尋ねられたら、どのように答えるでしょうか?とっさに「信じます」「信じません」との返事が頭に浮かんでくるでしょうか?実は、「神様」と言うとき、神様に対するさまざまな概念、信仰、思いが私たちの周りにはたくさんあります。クリスチャンでも答えは同じではないかもしれません。聖書に書かれている神様がどんなお方であるのかを私たちに知らされていることは、私たちにとって大きな祝福です。私達の前に存在する神は、言葉などで表現できる小さい神ではなく、「長崎バプテスト教会」―『信仰告白』(1947)二の「真の神」にも表わされているように「…聖きと恵みと愛の完全なる具現者、又父、子、聖霊なる三位一体の神…」一言で言い表わすなら「神は愛」です。私たちは、その愛に日々生かされています。私達にできることは、神に創られたように生きればよいのです。人生で一番大切なことは、互いに愛し合うことです。本日は、「愛なる神」についてさらに深く学んでいきます。
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申命記 15: 7-11 |

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5月 18日 2008 |
本日は、日本国際飢餓対策機構の田村治郎総主事をお迎えして「開かれた心、開かれた手」と題して宣教を頂きます。10月16日は、国連が設定した世界食糧デーです。日本でも毎年全国30か所近い所で、世界食糧デー大会、集会、または教会単位の食糧デー礼拝などが持たれています。私たちは、世界食糧危機の問題、飢餓や貧困の問題などをただ考え知るだけではなく、その世界に共に生かされている私たちが本当の意味で隣人としてどう生きていくかをさまざまな大会、礼拝を通して考える時を持ちます。イエス様は平和を愛する者を幸いとはおっしゃいませんでした。イエス様は平和を作り出す者を幸いとおっしゃいました。私たちクリスチャンは、このように他国で起こっているさまざまな問題を自国のあるいは自分の問題として考える時、私たちにできることは何であるのか、たとえ小さなことでも私たちひとりひとりに実行可能なことを行うことによって、問題のただ中にいる隣人を救うことができると神様は私たちに語っておられます。また他国の隣人だけでなく、私たちの日常生活の中にもありとあらゆるところにさまざまな悩み、問題を抱える隣人がいます。私たちは、民のうめきを聞く耳となっているだろうか、私たちの足がそのうめいておられる人にかけよっていく足になっているだろうか、神様の手となり足となっているだろうか、私たちは、今一度そのことを問うてみたい。私たちは、神様からいただいた恵み、祝福、イエスキリストこそ救い主であるという真理を隣人にお届けし共に生きる、そのことをもっと真剣に考え、行いで表していきたい。
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「わたしたちは何者か!? -
長崎教会『信仰告白』 シリーズ -」 E『「全知・全能の神」を信じる』 |
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ヨハネの黙示録 1: 4-8 |

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5月 11日 2008 |
皆さんは神様を呼びかける時また祈る時にどのように声をかけておられるでしょうか?私たちは、神様にいろいろな呼び方をして祈ります。また聖書の中にも神様に対する呼び名は多くあります。神様は、どんな呼びかけをしても、私たちに答えて下さるお方です。イエス・キリストは、父なる神のことを「お父ちゃん」「アバ父よ」と呼ぶように、また子供が「パパ、ママ」と呼ぶように、私たちも神様に「お父ちゃん、パパ」という呼び名で祈りなさいと教えて下さいます。また、私たちひとりひとりが、神様と関わっていくことがどれだけ大切であるのかも教えて下さっています。「長崎バプテスト教会」―『信仰告白』(1947)二の「真の神」には、「…神は無限にして全知、全能編在の霊にして天地の創造主….」とあります。私たちの父なる神は、私たちがまだ父を知らない前から、私たちひとりひとりのことを知っていて下さり、関わって下さっています。私たちが、いろいろな体験を通して、神様は私たちのことを全て知っていて下さる、私たちはひとりではない、主が私たちのことを生かして下さっていることを知る時、主がまた私たちと深く関わって下さり、私たちのことを愛して下さっていることを知ります。本日は、全知、全能であられる神様の愛についてヨハネの黙示録1:4〜8、詩篇139:13〜16、ルカ12:6〜7を通してさらに深く学んでいきます。
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「わたしたちは何者か!? -
長崎教会『信仰告白』 シリーズ -」 D「 『唯一の神』を信じる」 |
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コリントの信徒への手紙T8: 1-6 |

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5月 4日 2008 |
「神様」と言った時、みなさんは一体どのような神様を想像されるでしょうか? 「長崎バプテスト教会」―『信仰告白』(1947)二の「真の神」には、「我らは唯一にして真なる生ける神を信ずる。…」とあります。本日は、特にこの「唯一」という言葉をさらに深く学んでいきます。神様の概念は国によって異なりますが、日本では神様というと万の神が頭に浮かんできます。韓国の場合は、「一の様」と呼ばれ、唯一の神様を意味します。私たちは、自分たちの中に、「神様というお方はこういうお方だ」ということを明確にもたなければなりません。申命記6章4〜5節、マルコ12章28〜31節を通して、私たちは、愛するということは、神様だけを愛するのではなく、私たちの隣人をも愛する大切さを教えられます。本日の聖書の箇所、第1コリントへの手紙8章1〜6節では、パウロが偶像礼拝の問題を抱えていたコリントの人々に教会がどのように関わっていくべきか、またイエス・キリストの愛をどのようにして示すべきかを手紙で書き記します。全ての人が神様に創られ、神様に生かされています。全ての人が神様のもとに返される計画を持っていることをさらに学んでいきましょう。
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「わたしたちは何者か!? -
長崎教会『信仰告白』 シリーズ -」 C 『神の感動によって』 |
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マタイによる福音書 22: 23-33 |

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4月 27日 2008 |
「千の風になって」の歌に、多くの日本人が心惹かれています。「私のお墓の前で泣かないで下さい。私はここにはいません…。」 それは、私達人間誰もが抱く「人は何のために生きて、死んだら一体どこへ行くのだろうか?」という疑問に語りかけるものがあるからです。これは、日本人だけに限ることではなく、世界の人々に通じるスピリチャリティーであり、自分の死と共に、愛する者の死に対していろいろな疑問を持っているからです。本日は、マタイ22章、23〜33節を通して、世代を超えて神は、神でい続けられ、神は歴史の初めから終わりまで支配されている永遠の神であるということを学びます。また、「長崎バプテスト教会」―『信仰告白』(1947)の第1章「聖書の権威」―「聖書は神の感動によるもので….」の箇所と、ルカ24章、13〜35節の中で2人の弟子に復活されたイエス様が現れ彼らに語りかける箇所から、神様は、私達を愛するが故に、私達人間がたくさんの罪を繰り返し犯し、神様から離れてしまうことがあっても、決して私達のことをあきらめることなく、ひとりも滅びることがないように神の一人子、イエス様を遣わして下さり、さらに聖霊を遣わし、私達が真理を知り、神様の下に帰ることができるようにいつも関わり続けておられること、また神様が、私達をいつも思っているその心が、この「感動」という言葉に込められているということを学びます。
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「わたしたちは何者か!? -
長崎教会『信仰告白』 シリーズ -」 B 『聖書に聴く』 |
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詩編 119:105-107 |
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4月 20日 2008 |
あなたがもし「聖書とは何か」と問われた時どう答えるでしょうか?神様は、私達一人一人にこの人生の中で、私達がなぜ生きているのか、私達が一体どのような生き方をすれば豊かな生活、結婚生活、歩み、人間関係が生まれていくのかを聖書を通して語りかけて下さっています。聖書は、英語では「The
Bible」と言います。元々は、ラテン語の本、書物という意味のビブリアという言葉からきています。その言葉に、定冠詞のtheが付くと、「唯一の、これしかない」という意味になり、神様から私達に与えられた唯一の神の言葉という意味になります。一人一人の人生の中において、私達に与えられる時間や賜物やさまざまなことを本当に豊かに用いるためには、この神の言葉である聖書を親しみを持ってまた真剣に読み続けることで、主は私達に日々語りかけて下さいます。
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「わたしたちは何者か!? -
長崎教会『信仰告白』 シリーズ -」 A 『 名誉ある「あだ名」 』 |
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信徒言行録11: 19-26 |

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4月 13日 2008 |
多くの人が、人生の中で何らかのあだ名をつけられた経験をしたことがあると思います。本日学ぶ聖書の箇所、使徒行伝11章19〜26節には、キリスト者、クリスチャンという呼び名も「イエス様は救い主だと事あるごとに言っている連中達だ」ということからつけられたあだ名であったということが書かれています。イエス様を裏切ったユダの代わりに12弟子に加わったステファノは、「イエスこそ真の救い主である」ということを歴史の中で大胆に語りました。その中でさまざまな迫害を受けましたが、最後まで信仰を捨てずに、迫害する人々のことを祈りつつ殉教していきました。プロテスタント、バプテスト、切支丹という名前の背後にも、さまざまな迫害の中にあっても彼らの意志を通して行った先駆者達の信仰の固さの物語があります。あだ名は、本来は人をののしる材料でありましたが、しかし信仰の証をするものへと変えられていきました。私達も、多くの先駆者に習い、どんな時代にあってもイエス様のことを私達の救い主であると証ししていく者でありたいと思います。
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「わたしたちは何者か!? -
長崎教会『信仰告白』 シリーズ -」 @ 『 イエスこそ主 』 |
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信徒言行録10: 34-43 |

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4月 6日 2008 |
私達の結婚生活が豊かになるひけつはいつもハネムーンのつもりでいることだそうです。つまり結婚した相手に「あなたと出会えてよかった」「あなたと結婚してよかった」といつも愛を告白することだそうです。私達の信仰生活も結婚生活に似ています。私達の信仰生活もハネムーンでい続けるためには、ひとりひとりが、もう一度私達の言葉で「神様本当にありがとうございます」「神様、私はイエスキリストを私の救い主と信じます」と、いつも、いつまでも、御国に行くまで神様に信仰告白をし続けるということです。本日は、ペテロの3つの信仰告白を通して、私達の持つべき信仰生活を学んでいきます。私達ひとりひとりは弱く、時代の中で翻弄され、私達の環境が変わる時に私達の信仰さえうずまってしまうものであります。しかし、ペテロが神様の前で繰り返し信仰告白をしていく中で、またコルネリアスとの出会いを通して成長し、真理を悟るものと変えられたように、私達も神様に日々告白し続ける中で、イエスこそ私達全ての人の主であるということを信ずる者へと導かれていきます。「あなたは、今日イエスキリストを一体誰と告白しますか?」この問いを本日共に分かち合っていきたいと思います。
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-十字架から復活への道程-(シリーズ全10回) I『「終り」から「始り」へ』 |
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ヨハネによる福音書20: 24-31 |

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3月 30日 2008 |
本日は、十字架から復活への道程10回シリーズの最終回です。私達は、人生においていろんな過ちを知らず知らずのうちにおかしてしまう弱い存在です。しかし、私達は同じ出来事でも、その出来事を通して全く違った結果や未来を作り出していくことができる存在でもあります。例えば、電球を発明したエジソンは、電球を発明するまでに約1万回の失敗を繰り返したそうです。しかし、彼は、その失敗を単なる失敗と見なさず、1万通りのうまくいかない方法を見出したのだと言ったそうです。私達は、悲しいこと辛いことなどいろいろなことにつまずきますが、私達が起きたことをどのようにとらえ、どのように生かしていくかで私達の人生は大きく変わっていきます。聖書の中には、神様に対する私達が犯す数々の過ちが記されています。実は、私達の信仰の99%は、以前の不信仰の上に築かれています。本日の聖書の箇所ヨハネ20章24〜31節に出てくるトマスの出来事を通して、失敗と思えることが実に大きな祝福へと変えられていったことを、その後のトマスの信仰、教会の形成において、またキリスト教が全世界へ広がる基盤になったことをさらに皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。
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-十字架から復活への道程-(シリーズ全10回) H『「墓」から「新生」へ』 |
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マルコによる福音書 16: 9-20 |

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3月 23日 2008 |
いよいよイースター礼拝です。本日学ぶルカ福音書16章、9〜20節は、イエス様の復活を詳しく述べる特別の箇所です。この箇所は、聖書をご覧いただけると分かりますが、9節の初めから20節の終わりまで括弧の中に入っています。マルコの福音書は、元々8節までであり、9〜20節は2世紀後半に、マルコ伝より後に書かれたルカ、マタイ、ヨハネ伝の影響を受けて、マルコ伝にはないイエス様の復活の出来事が付け加えられたものだと言われています。2世紀後半の人々が、あえてこの復活の出来事を付け加えたのには、大きな理由があります。本日は、その3つの理由をみていきます。7つの悪霊を追い出してもらったマグダラノのマリヤには深い信仰がありました。それは彼女が抱えた苦しみは、全ての人々が抱えるようなありとあらゆる苦しみ
であり、そのような苦しみから解放された彼女は、イエス様に出会うことによって他の誰よりもイエス様に感謝の気持ちを持ち、またイエス様が死んでも3日目によみがえられることを信じました。一方、弟子たちは、不信仰ゆえイエス様の復活を全く信じることができませんでした。私達自身も復活のことをつい人間の思いで弟子達のように判断してしまいがちです。しかし、イエス様は、そんな弟子達にも尽きない愛と信頼を示して下さり、ご自身を表して下さいました。私たちも、神様にゆだねあきらめず祈る時、神様は答えて下さいます。主は、今も生きておられます。
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-十字架から復活への道程-(シリーズ全10回) G『「死」から「生命(いのち)」へ』 |
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マルコによる福音書 15: 21-39 |

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3月 16日 2008 |
本日の礼拝のタイトルは、「死」から「生命」です。普通「生命」と書くと、「せいめい」とおくりがながつけられますが、今日はあえて「いのち」と読み、その「いのち」について学んでいきます。ギリシャ語のいのちには何種類かありますが、その中の2つに、私達が今生きている体を表すいのち「ビオス」と、また聖書の中で出てくる永遠のいのちの意味で使われる「ゾーエ」があります。今週は、いよいよ受難週を迎えます。イエス様が十字架につけられる道行で、イエス様の十字架をかついだキレネ人のシモンと十字架の傍でイエス様の死をまのあたりにした百人隊長は、それぞれの体験を通して信仰の告白へと導かれました。私たちも、主イエスキリストが私達の罪を担って十字架にかけられ、血しおを流して下さったことによって「ゾーエ」である永遠のいのちが与えられ、神様の御前に立つことができるものとなりました。本日はこの二人の体験を通して、「死」から「生命」へ移されるのは信仰の告白によること、また神様からいただく永遠のいのち、祝福についてさらに学んでいきます。
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詳細
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-十字架から復活への道程-(シリーズ全10回) F『「闇」から「光」へ』 |
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ルカによる福音書 22: 47-53 |

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3月 9日 2008 |
今皆さんは、光の中におられるでしょうか?それとも闇の中におられるでしょうか?ここでの光の中にいるということは、昼間の明かりの中にいるということではなく、私達の心(魂)が、今暗やみの中におかれているのか、それとも光の中におかれているかとのことです。皆さんの中には、人生の苦しみ、悩みの中であたかも暗やみの中にいるかのように思っている人がいるかもしれません。私達は一週間後に受難週を迎えます。イエスキリストの復活への道行きは、私達の罪を許し、救いへの道へ導くための道でした。また、私達を光の中に導き入れるための歩みでもありました。私達の人生にも十字架があり、必ず復活があります。本日の聖書の箇所、ルカ22章、47〜53節は、イエス様が、弟子たちと最後の晩餐を終え、ゲッセマネの丘で苦しみ悶えながら次のように祈るところです。「御心でしたら、この盃を取り除いて下さい。しかし、私の願いではなく、御心のままに行って下さい」。イエス様も地上でまったき人間として私達と同じように苦しみ、悩み歩まれました。しかし、この御言葉を祈る時、私達の心、魂、人生に神の光が差してくることを、イエス様は身を持って示して下さいました。
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-十字架から復活への道程-(シリーズ全10回) E『「罪」から「救い」へ』 |
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ルカによる福音書 19: 1-10 |

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3月 2日 2008 |
「もし私に5分間お時間をいただけるのでしたら天国へ行く道をあなたに教えましょう」とばったり会ったある男の方から話かけられました。これは、50年以上続いているラジオ放送「世の光」の伝道牧師をしておられた羽鳥明貴良先生が、サンフランシスコの友達を訪ねた時に体験されたことです。話の中である男が示した聖書の箇所は、ヨハネ1章:29節の「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」でした。これは、川でバプテスマを授けていたヨハネに向かって近づいて来られるイエス様を見てヨハネが言った言葉です。彼は、この聖書の箇所に関して3つのポイントを羽鳥先生に話したそうです。1つ目は、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」の「見よ」とは「あなたの信仰のこと」を表します。それは私達が今自分の目をしっかり開き、神様の御言葉に目を開いて生きるということです。2つ目の「世の罪」とは世間一般の人の罪を指しているのではなく、「あなたの罪」のことを指しているということです。3つ目の「その罪を取り除く神の子羊」とは、イエスキリストのことを指します。もしあなたがこの3つのことに目が開かれ、またそれを心に留め、この御言葉を信じるなら、あなたはもう天国への道を歩み始めているのです。皆さんはどうでしょうか?羽鳥先生と同じような状況に立たされた時、この言葉を「そうだ私も信じよう!」と言った人に、すぐ天国へ行く道が備えられ、救いに入れるということを信じるでしょうか?本日は、ルカ19章、1〜10節に出てくる徴税人ザアカイがイエス様にどのように聞き従ったのかを通して、「罪」から「救い」ということについてさらに確信を深めていきます。
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詳細
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-十字架から復活への道程-(シリーズ全10回) D『「肉の目」から「信仰の目」へ』 |
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サムエル記上 18: 5-16 |

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2月 24日 2008 |
皆さんは「ねたみ」の心を持ったことはないでしょうか?ついつい人と比べて、ねたみの気持ちが心の中で渦巻くことを経験することはないでしょうか?本日の聖書の箇所に出てくるサウル王とダビデの関係もまさに私達がよくさいなまれるねたみのことについて語られています。私達も、サウル王のように肉の中に引きずり込まれるような弱さを持っていると聖書は語っています。しかし、私達が、神様の清い霊を受け入れ、それに従って生きる時に、私達は、人間の内側にある肉のねたみから解放されます。本日のメッセージでは、私達が、「肉の目」で生きるのではなく、「信仰の目(信仰の心/信仰の霊)」を持って生きることを選びとるにはどうしたらよいのか?そのことを聖書の中から学んでいきます。
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詳細
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-十字架から復活への道程-(シリーズ全10回) C『「呪い」から「祝福」へ』 |
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ガラテヤの信徒への手紙 3: 7-14 |

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2月 17日 2008 |
私達は、病気をしたり、怪我をしたり、不幸なことが私たちの周りに起きると、これは何かたたられているのではないだろうか、呪われているのはないだろうかといった不安や怖れを抱く時が多々あります。本日のメッセージでは、私達は、主イエスキリストの十字架を通して「呪い」ではなく「祝福」の世界におかれていることを心に留めるように、また私達の周りにいるそういった不安を持っている人々にも、私達が「祝福」を届ける人になるように神様は願っておられることが力強く語られます。 |
詳細
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-十字架から復活への道程-(シリーズ全10回) B『「奴隷」から「自由」へ』 |
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ダニエル書 6: 1-25 |

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2月 10日 2008 |
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詳細
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-十字架から復活への道程-(シリーズ全10回) A『「憎しみ」から「和解」へ』 |
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創世記 32: 23- 33: 4 |

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2月 3日 2008 |
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詳細
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-十字架から復活への道程-(シリーズ全10回) 『「絶望」から「希望」へ』 |
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ルツ記 2: 1-13 |

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1月 27日 2008 |
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詳細
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-主の神殿を建てよう-(シリーズ
88 回目) 『-継承すべきもの-』 |
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列王記下 2: 1-14 |

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1月 20日 2008 |
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詳細
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-主の神殿を建てよう-(シリーズ
87 回目) 『-あなたが「あなた」となる-』 |
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ルカによる福音書 5: 1-11 |

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1月 13日 2008 |
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詳細
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-主の神殿を建てよう-(シリーズ
86 回目) 『-収穫も、働き人も多い教会-』 |
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マタイによる福音書 9: 35-38 |

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1月 6日 2008 |
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詳細
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-主の神殿を建てよう-(シリーズ
85 回目) 『-今年、何を信じてきましたか-』 |
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マタイによる福音書 8: 5-13 |

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12月 30日 2007 |
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詳細
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ヨハネの手紙一 1: 5-9 |

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12月 24日 2007 |
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キリスマスイブ・キャンドルサービス |
詳細
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-主の神殿を建てよう-(シリーズ
84 回目) 『-神の思いは遥かに偉大です-』 |
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イザヤ書55: 8-9, マタイ1: 18-25 |

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12月 23日 2007 |
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詳細
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-主の神殿を建てよう-(シリーズ
83 回目) 『-宝の箱を開いて-』 |
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ミカ書5: 1-4 |

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12月 16日 2007 |
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クリスマス・ページェント
(光の園、幼稚科、小中高青年クラス) |
詳細
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ヨイザヤ書9: 5-6 |

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12月 09日 2007 |
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吉高國彦師 |
詳細
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-主の神殿を建てよう-(シリーズ
82 回目) 『顧みてくださる神』 |
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イザヤ書44: 1-3 |

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12月 02日 2007 |
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詳細
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-主の神殿を建てよう-(シリーズ
80 回目) 『教会の約束H -主イエスのところへ-』 |
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ヨハネによる福音書1: 35-42 |

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11月 25日 2007 |
世界祈祷週間 女性の会と子羊会
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-主の神殿を建てよう-(シリーズ
79 回目) 『教会の約束G -幸せのハードル-』 |
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ヨハネによる福音書9: 1-11 |

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11月 18日 2007 |
幼児祝福式 乳児・幼椎科・光の園
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-主の神殿を建てよう-(シリーズ
79 回目) 『教会の約束F -本当の豊かさ-』 |
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コリントの信徒への手紙U9: 6-15 |

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11月 11日 2007 |
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-主の神殿を建てよう-(シリーズ
78 回目) 『教会の約束E -果たすべき責任-』 |
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ローマの信徒への手紙1 8-17 |

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11月 4日 2007 |
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ヨハネによる福音書15: 12-14,17 |

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10月 28日 2007 |
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金英泰(キムヨンテ) |
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詩編46 2-6 |

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10月 21日 2007 |
ゲスト・オルガニスト 椎名
雄一郎 (活水学院オルガニスト)
(CD) |
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-主の神殿を建てよう-(シリーズ
76 回目) 『教会の約束D -ハーモニーを奏でる 教会-』 |
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コロサイの信徒への手紙1: 1-15 |

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10月 14日 2007 |
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-主の神殿を建てよう-(シリーズ
76 回目) 『教会の約束C -共に集まる目的-』 |
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ヘブライ人への手紙10: 19-25 |

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10月 7日 2007 |
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マタイによる福音書 28:18-20 |

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9月 30日 2007 |
西脇真一 |
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-主の神殿を建てよう-(シリーズ
75 回目) 『教会の約束B -キリストの体=教会-』 |
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コリントcT12: 27-31 |

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9月 23日 2007 |
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使徒言行録 16: 25-34 |

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9月 16日 2007 |
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二瓶淨幸
活水女子大学 |
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-主の神殿を建てよう-(シリーズ
74 回目) 『教会の約束A -高嶺(こうれい)を目指して-』 |
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フィリピの信徒への手紙 1: 20-23 |

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9月 9日 2007 |
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-主の神殿を建てよう-(シリーズ
73 回目) 『教会の約束@ -恵みによって-』 |
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コリントの信徒への手紙T15: 1-11
10:25-37 |

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9月 2日 2007 |
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ルカによる福音書 10:25-37 |

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8月 26日 2007 |
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前田文生伝道師
淵田美津雄 Mitsuo
Fuchida
証し |
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